「思い」が詰まっているか、いないか。

友人がくれた思い

先日、花束をもらった。
何年ぶりかに再会した友人が、
「久しぶりだから花でも贈ろう」ということで、一緒に花屋さんに行った時のこと。

最初は、好きなもの選んでスタイルだったのだが
私のリクエストでお花を選んでもらうことに。

お花を贈ってくれるだけでも嬉しかったが、この時の待っている時間がたまらなく好きだった

私に似合いそうな花の種類・色・雰囲気。
そんなことを考えながら選んでくれて、私はその時間を共有している。

店員さんと相談しながら選んでくれた時間は5分くらいだったと思うが、そのたった5分で幸せな気持ちになった

その友人から花をもらうことなんか初めてで、しかもそんなタイプでもないし、
贈ってもらうこっちが何だか照れくさかったけど、とても嬉しかった。

短い時間でも、私のことを考えてくれた思いが乗った花束
お花そのものはもちろん可愛くて素敵なのだけど、それ以上にその思いが、すごくすごく嬉しく感じた

お花をくれたお礼を改めてメッセージした時、
これから咲きそうな花たちを選んだから」と付け加えられた。

そんなことも考えてくれていたのか


友人の成長した(?)優しさを感じながら、嬉しい気持ちはさらに大きくなった。


数年ぶりの再会とともに、心に残る出来事だった。

思いは詰まっているか

思いを込めること、その人に考えを巡らせること
誰かにギフトを贈る時、私がすごく意識していることだ。

その気持ちは渡す時の態度や表情に表れると思うから。

どんな気持ちでそのギフトを選んだか、とか、
私の中のあなたのイメージはこうなんだ、とか。
気持ちをシェアする楽しさも生まれる。

そのイメージが相手にとってドンピシャなこともあれば、意外に思われることもある。
その答え合わせも楽しい。


流行りものだったり、定番を贈るのも良いと思う。
間違いがないから。


ただ、私は、大切にしたい人には
私の思いを伝えるために、これからも考えて選ぶ時間を大切にしたいし、愛しいと思い続けたい

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