仕事をお休みしている今、近ごろの朝の日課は、彼を会社まで送迎すること。
歩道には登校する小学生と通勤する大人たちで溢れている。
帰り道、横断歩道の目の前に停車し、なんとなく彼らを眺めていた。
信号が青になった瞬間に走り出す男子。
それを追いかける男子。
マフラーを巻く子もいる中、半ズボンで走り抜ける男子。
それを冷ややかに見ながら、落ち着いた足取りで話しながら歩く女子。
小学1年生の4人グループは、ちょっかいを出し合って学校とは反対に走り、横断歩道までなかなか辿りつかない。
一方で大人たち。
顔が生き生きとしていない(ように見える)。
男性も女性も、小学生の倍の人数はいるのだが、その全員が。
スマホを見ながら、あるいは地面を見ながら、誰も遅れたり後退したりすることなく横断歩道を淡々と渡っていく。
この人たちも、小学生の彼らみたいに走りながら通学していた頃があったんだろうなあ
と、ふと考える。
あのおじさまも、赤信号でも平然と歩いて渡るあの人も、
彼らの腰の高さの身長くらいの小学生だったんだと思うと
なんだか可笑しくって、微笑ましくなった。
と同時に、私は通勤中どんな顔をしていたんだろう、と気になった。
電車ではスマホを見ていたし、会社まで歩く時は今日のタスクを考えていた。
気分的には、憂鬱。眠い。頑張らないと。
全体的に暗い。。
きっと、疲れた顔をして歩いていたんだろう。
自分を客観的に見るとそんな顔をしているって、すごくすごく嫌だな。
どうせなら楽しそうな顔をしていたい。
大人になった今も。
毎朝見かける小学生たちは、全員が楽しそうに登校しているわけではない。
それでも、大人よりももっとフラットな気持ちで朝を迎えているんじゃないかな。
年を重ねるほど色んなものが見えるようになり、考えることも抱えることも増えるのは確か。
それはいいことだと思う。
でも、だからといって
うつむきながら、疲れた顔をしながら朝歩くことは、
必ずしも「年を重ねて大人になったから」ではない。
毎朝、足取り軽く仕事に向かいたい。
毎朝、目を輝かせて歩きたい。
毎朝、外の空気や季節の移ろいに心を寄せて今を感じたい。
毎朝、豊かな気持ちで1日をスタートしたい。
そのために必要だと思うこと。
それは、「自分の仕事への熱意、時間の余裕、心の余裕」かな。
今の私には、仕事と距離を置いたことで時間と心の余裕はある。
でも仕事への熱意は、正直低い。
それには色んな要因があるのだが、自分ですべて解決することは難しい。
どんな仕事にもさまざまなことは付きものではあるが、
自分の許容範囲と相談しながら良い方向に進んでいけるといいな。
未来の私が、豊かで前向きな気持ちで、小学生のような純粋な気持ちで毎朝を迎えていますように。